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落合博満 [日記]

中学・高校時代は、年間100本もの映画を観賞するほどの映画少年だった。特に『マイ・フェア・レディ』は7回見に行き、劇中歌の歌詞(英語)を覚えたほどだった。

秋田県立秋田工業高等学校では野球部に在籍していたが、野球をしている時間よりも映画館にいる時間の方が長かった。「練習が嫌い」という理由で野球部を退部したが、投打共に落合ほどの実力を持った選手がいなかったため、試合が近づくと部員たちに説得され、復帰した[1]。落合はほとんど練習をせずに、4番打者として試合に出場した。

高校卒業後、東洋大学に進学するが、先輩がタバコを手にしたら素早く火をつける、等といった体育会系の慣習に納得できず、わずか半年で野球部を退部し大学も中退。秋田に帰ってしまった。

その後、ボウリングのプロを志すがプロテスト受験の際にスピード違反で捕まって罰金を支払ったことで受験料が払えなくなり受験できず、これも挫折してしまう。しかし、才能を惜しんだ高校時代の恩師の勧めもあって東京芝浦電気の府中工場所属の季節工として入社。同工場の社会人野球チーム「東芝府中」に加わった。ここで頭角を現して1978年アマチュア野球全日本代表に選出(森繁和も選ばれている)、同年のドラフト会議でロッテオリオンズに3位指名されて入団。落合をスカウトした城之内邦雄によると、指名理由は「変化球に強く、投手が苦手とするタイプの打者」という一点のみだった(城之内は投手としての視点から、落合の資質を見抜いていた[2])。なお、巨人は落合をドラフト2位で指名する予定であったが、江川事件によりドラフト会議自体をボイコットしたため、指名は実現しなかった。
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新聞休刊日 [日記]

新聞休刊日(しんぶんきゅうかんび)とは、日本新聞協会が、新聞販売店の慰労・休暇を目的に新聞の発行を行わないとあらかじめ定めている日である。

販売店の休日と共に、新聞社における輪転機や製作システムのメンテナンス作業(輪転印刷機のメンテナンスは労働安全衛生法で義務付けられている)にも充てられている。なお、取材活動や記事の作成・編集は休刊日と関係なく行われ、ウェブサイトの情報はこれにより更新されている。

中国新聞の例外

広島県広島市に本社がある地元紙の中国新聞は、毎年5月3日〜5日に開催される「ひろしまフラワーフェスティバル」関連のため他の新聞とは異なり、6日にも新聞が発行されている(但し夕刊は3日間共休刊)。
但し、2007年〜2009年は5月7日が新聞休刊日だったため発行されなかった。
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